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田舎暮らしの本 9月号

8月3日(水)
850円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

男というもの/自給自足を夢見て脱サラ農家36年(24)【千葉県八街市】

中村顕治

 今回も編集長からいただいたテーマのひとつである。先般、編集長から参考テーマのリストを送っていただいた。ズラリと並んだそのテーマが、いずれも、身も心も乗り出すような、さて、どれを選ぶべきかと迷うような、僕には魅力的なラインアップだった。今回はそれらの中から「男というもの」を書くことにした。この選択にはひとつ理由がある。いま僕が読みかけている本のタイトルは『進化のたまもの! どうぶつのタマタマ学』(緑書房)。まさしく男の話なのだ。ちょうどいい機会だと僕は思ったのだ。以後随時、この本からの引用をしながら筆を進めていくが、表題となっている「タマタマ」についての著者・丸山貴史氏の言葉をとりあえず紹介しておく。

この本では、ヒトをふくめた動物の「タマタマ」についてお話します。まず明らかにしておきたいのが、タマタマとはいったいなにかということ。残念ながら手持ちの国語辞典を調べても、タマタマという言葉は載っていませんでした。しかし、地域性はあるものの、タマタマは雄性生殖器である「金玉」の婉曲表現として使われているようです。金玉は一対あることから、おそらく2つあわせて「玉々」なのでしょう。でも、なぜ本書では国語辞典にも載っている金玉という言葉を使用せず、一般的には耳慣れないタマタマをタイトルに入れたのでしょうか。それは、書名に入れるワードとして、金玉はあまりに下品すぎるという意見が出たためです。本書を手にとってくれた方であれば「金玉のほうがわかりやすい」と思うかもしれません。でも、書店で生殖器の名前を目にすると、不快に感じる方も一定数いるようなのです・・・。

 この本はどこまでも学術的内容に貫かれ、かなり高度なデータと考察に基づいたものなのであるが、冒頭に掲げられた著者の言葉に、正直に言うと、僕は思わず笑ってしまったのであった。「金玉はあまりに下品すぎるという意見が出たためです・・・」に、ある場面を想像したゆえである。おそらくそれは編集会議のような場面であったろう。執筆者と出版社側が、タイトルを含めて大まかな構成を討議する。かつて編集部員という立場にあった僕は、その討議の場に女性の編集部員がいたと、根拠もなしに、勝手に想像した。そこで金玉・・・もしかしたら討論の間、全員が額に汗をにじませたのではあるまいか・・・。仕事とはいえ、配られた企画書にキンタマの文字を見た女性編集者は大いに困惑したのではあるまいか。口に出すのは、なんともためらわれる。だがちょっと待っていただきたい・・・。上に引用した文章のすぐ後に著者は「生殖器って下品なの」という見出しでこの困惑をフォローしている。なにゆえ我々は、生殖器の名前を口にするのをはばかるのだろうか・・・と。

 6月14日。曇天。北東からの風。気温は20度に届かない。どうしようかとちょっと迷ったがハウスを完全に閉めることにする。晴天の日は一気にハウス内の温度が上がる。だからずっと片面をオープンにしてあったのだが、光もなくて18度では中のトマトやピーマンは肌寒いだろう。そう思って閉じることにした。そして体を動かすのだ、寒いから体温を上げるために。フェイジョアの下草刈りだ。さらに、すぐ近くにある5メートルにも伸びたアンズの木の枝を切り落とし、フェイジョアの花によく日が当たるようにもしてやる。

 フェイジョアの原産はパラグアイやブラジルなどの南米。ならぱ熱帯性かと思えば、マイナス10度まで耐えるという不思議な果物だ。今の時期、派手な色、不思議な形の花をいっぱい咲かせる。秋遅くに結実し、熟したら勝手に落ちる。中はゼリー状。僕はその香りが好きだ。

  世の中は今、ジェンダーレス、男女の区別や差別をなくそうという方向に急速に進んでいるような気が・・・外に出ることが全くないので、新聞やテレビでの情報から、僕はしている。今回のテーマ「男というもの」を論じるにあたって、僕は自分自身の立ち位置がどんなものか、自己診断しておきたいと思う。世の中の動きと逆行していると受け取られるかもしれないが、正直に、率直に、自分はどんな考えを持った男かを述べてみたい。

 僕は3K、すなわち、危険、汚い、キツイの仕事は男がやるもの、女にはさせたくない、前からそう思っている。3K仕事はオレがやる。おまえは見ていればいいよ。そして、3K仕事が終わる頃に、美味いお茶と菓子を用意してくれればいいよ・・・。もうこれだけで、中村さんて古いなあ、時代遅れだなあと思われるであろう。しかし、この「思想」はガッチリと、僕の脳や内臓にしみついているのだ、ちっとやそっとでは取り外せない。危険、汚いの仕事はオレがやる・・・実はこれは僕という男から女への愛の表明なのだと言えばちょっと大げさになるだろうか。あるいは、キツイ、危険な仕事を男の自分がやって、アナタってすごい、カッコイイ、女にそう言って持ち上げてもらいたいという下心がどこかにあるのかもしれない。だが、3Kは男がやるもの、女にはさせるべきではないという気持ちは動かしがたく僕の心に張り付いている。もちろん知っています。昨今、大型ダンプを運転する女性がいること、女性のプロボクサーがいること、冬山に単独登頂する女性がいることを。だが、絶対数においては少ない。やはり肉体への負荷、筋肉の量という観点で言えば、男女差というものは存在する。卑近な例で言うと、僕は最高5メートルという木に登って果物を収穫することがある。3メートルの位置までは梯子。それから上は枝を伝って登り、2本の枝に足をかけ、股を広げて果実をもぎ取る。スーパーウーマンが自ら志願してこれをやるというなら別だが、やはり女性には無理、男の仕事だ。

 もうひとつ、つい先日の出来事。ごみゼロの日、地区の男女30人ほどで草刈りや側溝の掃除をした。そして最後の大仕事は男4人だけだった。地区には各戸から出た汚水をいったんため込む大きな、直径6メートルくらいの穴がある。その汚水をポンプで汲み上げ、市の下水道に流すのだが、この穴に汚泥がたまりすぎ、ポンプがうまく作動しなくなった。僕は汚泥を搬出するメンバーに指名されたのである(たぶん、力があって、汚いものを苦にしないという理由でもって)。サーフボードみたいな板を浮かべる。その上に乗って大きなひしゃくで汚泥をバケツに移す。そのバケツを残り3人の男がリレーする。これぞまさしく3Kである。ではこれを、ごみゼロに出てきて、先ほどまで草を刈っていた女性にさせられるだろうか。無理である。力がいる。飛び散ったドブが下手すると顔にまで跳ねる。これはやはり男の仕事であろう。男女平等とはいかない、ジェンダーレスという理想通りにはいかない、そんな場面も世の中にはたしかにあるのだ・・・むやみに男女平等というのはどうかなあ・・・それが僕の考えなのである。

 6月15日。強い降りではないが、雨の朝である。今年の梅雨入りは思ったよりも早く、ちょっと落胆したのだが、その後は晴天の日も多く、雨が降っても激しくはないから、布団も干せるから、嬉しい。今朝はランニングしながらひとつ思い出したことがある。この話は「男というもの」のテーマにつながるな、昨日書いたジェンダー問題とも関わるな・・・走りながらそう思ったのである。

 朝日新聞の記事「シングルファーザー 前向きに走った」は、2018年のシカゴで2時間7分57秒の8位、翌19年の福岡国際では優勝し、今年引退したトヨタ自動車の藤本拓選手(32)のランナー人生の物語だった。藤本さんはシカゴマラソンの前に離婚した。8歳と7歳の娘さんのシングルファーザーになった。

育児のためシカゴで引退することを考えたが、自己記録を出してMGCの出場権も得たため翻意。その後は子育てと競技を両立させてきた。朝練習は、子どもたちが目を覚ました時に父親がいないと泣いてしまうため時間を早めた。30キロを走るために午前1時半にスタートしたこともある。練習後は子どもたちを起こし、朝食と弁当を作るのが日課。午後練習の後には保育園の迎え、夕食、お風呂、寝かしつけ・・・分刻みのスケジュールだった。それでも藤本は「料理の腕は上がったし、何でもやる気になればやれるという気づきもあった」と振り返る。「食育を大切にしました」と、冷凍食品は使わなかった。子どもが喜ぶよう、お菓子づくりにも挑戦した。プロ顔負けのイチゴタルトができた。ただ、家事で立ちっぱなしの時間が長くなったことで腰や股関節が固まり、それが故障にもつながってしまった・・・。

 ジェンダーのこと、男と女の役割。それを論じるためにこの話を引くわけだが、その前にひとつ言いたい。「なんでもやる気になればやれる・・・」という藤本さんの言葉をみんなでかみしめたい。昨今、思い通りにならない人生のうっぷんを他人にぶつける男が増えたように思う。つい先日も、職場に不満があったと、会社の倉庫に放火して全焼させた男がいた。その前には、もう死にたい、どうせなら他人を巻き込んで死にたい、そう思って電車内で切りつけ、火をつけた男もいた。僕の目にはそれはとてもこらえ性のない幼稚な行動と見える。午前1時半に30キロの練習ランを開始、帰宅したら子どもたちに朝食と弁当を作ってやる・・・「やる気」になればやれるのである。自分の人生のうっぷんを他者に向かって直接行動でぶつける。それは安直な「やる気」のない男であるゆえの狭小な精神であると言えよう。「男というもの」はそんなんじゃいかん。

 男と女には、それぞれにふさわしい仕事がある。僕の基本的な考えだ。男は外で仕事、女は家事、育児・・・こう言うと、中村さんは絶滅危惧種みたいな人ですねえ、そんな声も聞こえてくる。もちろん時代は変化している。食事の支度や育休を取って子どもの世話をする男性がいることも知っている。だが、さまざまな生き物を飼育した経験から、雌雄の違いは歴然としてある。女性には容易なことが男性には難しい事柄も確かにあると僕は認識する。他方で、先ほどの3Kでもわかるように、やってやれないことはないだろうが、これはやはり男の仕事、女にはやらせたくない、そういった事柄も存在する。おそらく、ジェンダーレス、男女平等、これが割合スンナリ受け入れられる今の社会的背景には、仕事の多くがパソコンを使って出来るからであろう。だが、パソコンでは出来ない仕事も世の中にはある。わかりやすい例。田舎暮らしの物件を手に入れたと仮定しよう。価格は安かったが屋根も壁も床板もだいぶ腐食が進んでいる。費用節約のために自分たちの手で修理をやってしまいたい。夫婦で協力しながらの作業となるが、命綱を着けての屋根作業はどうする。大きなバールを使っての壁の撤去はどうする、作業途中に遭遇した大きなスズメバチの巣の撤去はどうする・・・これはやはり男の仕事なのである。こうした事柄への対処にはパソコン仕事とは違い男女平等は不向きなのである。

 だがしかし、絶滅危惧種の僕でも頑迷一徹というわけじゃあない。現在の僕は、陽の長い夏場の今は畑仕事が毎日10時間だ。その合間に手際よく、3食のメシを作り、洗濯をし、ゴミを出し、布団を干す。さすが人間の子の育児はもうないが、何十匹ものヒヨコの餌、水、ときには獣医もどき、傷の手当もする、それを育児だと考えるなら、男は外で仕事、女は家事と育児という古き命題を、あのマラソンランナー藤本さんと同様、僕は打破していることになる。人生必ずしも「思想」通りとはならない、現実の行動はその思想と矛盾する場合もあるわけだ。現実を柔軟に受け入れる精神が大事なのだ。ちなみに、マラソンランナー藤本さんは昨年2月のびわ湖毎日マラソン後に再婚し、シングルファーザーの生活に終止符を打ったという。再婚のお相手は元バドミントンの世界選手権銅メダリスト・米元小春さん。新たなお子さんにも恵まれたという。最後にもう一度、藤本さんの言葉を引用する。「男というもの」の一面がこの言葉の中にはある。

家に「お帰りなさい」と言ってくれる人がいることの幸せを感じています。これまでは迎えに行った子どもと一緒に帰宅して「おかえり」、「ただいま」と言い合っていましたから・・・。

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