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田舎暮らしの本 10月号

9月2日(金)
850円(税込)

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男というもの/自給自足を夢見て脱サラ農家37年(24)【千葉県八街市】

 ずっと曇天だった空から大粒の雨が落ちてきたのは午後6時45分頃だった。予定の作業はほぼ終了していたので雨による支障はなかった。さて、今日も、僕は人生相談から「男というもの」を考えてみたいと思う。相談者は50代の主婦。定年退職した60代の夫との生活に悩んでいるという。

夫は有名大学を卒業し、人も羨むような仕事についた優越感からか、家庭内ではいばりちらしてきました。趣味や友人はなく、家では酒を飲みながらテレビとネット三昧。食事もテレビを見ながらゆっくりです。行儀の悪さを指摘した時は「そんな上品な育ちはしていないくせに」と鼻で笑われました。肘をつき、音を立てて食べるだらしなさも苦痛でなりません。何を作っても無言。話しかけても否定するか、皮肉を言うかなので話しかける気もなくなりました。独立した子ども二人も家に寄り付きません。何度も離婚を考えましたが、頼れる身内はなく、体もあまり丈夫でないため踏み切れずにいます・・・。

 これを読んで僕はすぐに思った。この男性の人生はカラッポだなあと。有名大学を出て、人が羨むような仕事をしていた。もしそれゆえに、現役時代のクセで自分の妻にも高飛車に出るのだとしたら・・・なんと狭量な男であることか。僕は貧しい家庭で育ち、親からあれこれの教えを受けたこともない。しかし、肘をついて食事をし、味噌汁やスープを音を立てて飲むなんてことはついぞしたことがない。僕が常々言う「本能」は、ひょっとしたら教育にも優る有用なものなのではないかと、この人生相談を読んで思った。

 即断はいけないが、大きな組織の中の、高いポジションでなす男の仕事には、もしかしたら人間を成長させるファクターがないのかもしれない。その理由は・・・これまた即断はいけないぞと思いつつ、彼の思考と行動が完全に肉体から分離し、脳でだけ、しかも、脳のごく一部しか使わずになされているゆえかもしれない。このパターンからは、他者への愛、優しさ、気遣いみたいなものが生まれてこない。おそらく、妻に嘆かれるこの夫は順風満帆のサラリーマン人生で、途中つまずきみたいなものはなかった、それゆえなのかもしれない。しかし、一個の男という意味ではまことにもって貧しい。幼児のままである。

 それにしても、定年退職後の60代。趣味、友人はなく、酒とネットの日々とは、なんと悲しい老後であろうか。この先、死ぬまで、食卓に肘をつき、音を立てて食べながらテレビを見る日々を送るのだろうか。人は、肉体で8割、脳で2割、この割合でものごとを考えるのが望ましい。例えば学者ならば、フィールドワーク8割、デスクワーク2割・・・僕はそう思っている。彼はネット三昧の日々と妻に言われているが、どんなものを見ているのだろうか。ネットは確かにありがたい。僕も利用している。しかし、そこに盛られた情報はどこまでも、ミミズもダンゴムシもハサミムシもいない無機物である。情報が情報としての効果を発揮するのは、情報を入手した当人が自分の頭の中で吟味し、十分に咀嚼し、それを行動に役立てること。そこで初めて無機物が有機物に変化する。

 前回の原稿で僕は「経済的な豊かさは地面からの高さ、距離に比例する」という話を書いた。ゆえに百姓には金持ちになる可能性が少ないというわけだが、精神までが貧しくなるわけではない。地面に足を置き、手足を道具として働き、大量の汗を流す。その暮らしは、決して強がりではなく、人間を成長させ、幸福感と、人が生きる道にもうひとつの扉をもたらす。その手ごたえを得た男は、やたら人を揶揄したり、蔑んだり、皮肉を込めた言葉を投げつけたりはしない。田舎暮らしとは、どうやらそれを具現化したものであるらしい。容易なことではない。肉体的な負荷、経済的なやりくりの大変さ・・・いろいろある。しかしアナタにだってやれる可能性はある。情報という無機物を有機物に変える思考力と実践力、そして、あの、マラソンランナー藤本さんみたいな、苦境に立ち向かう意思と持続力、それがあれば可能だ。数々の障害を乗り越え、ある日、ハッと、自分の心に明るい光が差し込んでくるのに気づくことがある。その体験をしてしまえぱ、もう、しめたものだ。田舎暮らしを楽しみ、苦しみつつも、食料自給の態勢を整えたら、、相撲に例えれば8勝7敗。今場所もなんとか勝ち越したという人生がアナタを待っている・・・。先ほど引用の人生相談は、それゆえに貴重な反面教師である。

 6月22日。今日も光なし。湿度は昨日までよりさらに高い。昨日が夏至だった。日の出の時刻は1週間前からずっと4時25分で足踏みしていた。それが、夏至から1日たった今日、1分遅くなって4時26分というのがなんだかおもしろい。梅雨明けは例年より早くなる可能性が高いという。そして、夏の暑さは平年以上だともいう。低温不順な夏よりはずっといい。猛暑がいい。僕の頭の中ではそろそろ秋から冬へのプランが浮かびつつある。今年もナス、ピーマン、トマトを冬の始めまで収穫したい。当然、厳重な防寒が必要で、特大のトンネル、もしくはハウスを設置することになるが、今後夏の始めまで種をまいたり苗を植えたりする人参、ブロッコリー、キャベツ、カリフラワーとの関係で、そのトンネル、ハウスはどこに設置するのがよいか、草取りに励みながら思案している。

 他にも思案することがある。今度晴れるのはいつかな、シャツやパンツの在庫はそれまでもつかな・・・。肘をついて食事をすることはなく、風呂に入らないという日も僕はない。仕事柄ゆえ、今日着た下着を明日までそのままということもない。そのために、シャツ、パンツは各20枚くらいある。それでも雨が続くと在庫が少なくなる。今度の晴天はいつかと思案するのはそのためだ。

 パンツといえば、僕は驚いた。ワコールだったかな、レースで編んだ男物パンツを売り出したという新聞の記事に。そして一昨日、その記事を書いた朝日新聞の東京文化部・長谷川陽子さんという方が記事には大きな反響があったと「取材考記」に書いていた。僕は全く知らなかったが、ファッションの世界では、男性の服にレース素材やスカートを採り入れるなど、性を問わない、または性差をあいまいにする「ジェンダーレス」のトレンドがもう10年近く続いているのだという。長谷川さんは言う。

背景には多様性を認め、尊重しようという意識の広がりがあると感じる。誰かが決めた男らしさ、女らしさに合わせるのではなく、「自分らしさ」が大切なのではという考え方だ・・・歴史をたどれば、17世紀の西欧では上流階級の男性がレースやリボンで華やかに着飾り、ルイ14世はハイヒールを履いていた。レースが女性のイメージと結びついたのは19世紀以降だという・・・。

 男がレースのパンツかぁ・・・またまた絶滅危惧種の男はこう、少しばかり嘆息するのだが、「自分らしさが大切」と言われても、レースのパンツに僕は自分らしさは重ねない。僕が欲しいパンツとは、布地がしっかりしていること、ゴムもしっかりしていて長期の使用に耐える品であること。ピンとこない話かもしれないが、ヤブでの仕事を筆頭として、僕は下半身を酷使する。足を大きく広げたり、腰をひねったり、木の枝にひっかかりながら狭い場所を通り抜けたり。もちろん雨の日の作業ではパンツの中まで濡れる。だからパンツもきっと悲鳴を上げている。かつ、どのパンツも洗濯する頻度が高い。結果、我がパンツはヨレヨレになるスピードが速いのだ。レースなんかじゃなく、ワタクシ、もっと質実剛健なパンツが欲しいです、ワコールさん・・・。ちょっと書き添えるなら、どうにもヨレヨレ、男のモノがひょっこり顔を出すほどのパンツはガスレンジの汚れを拭きとるのに再利用する。

 午後6時半に仕事を終えた。そして思い出した。ひっそりと、しかし豪華に咲いていた紫陽花のことを。3か所に、それぞれ分けて色の違う紫陽花が植えてある。2本は自分で買って植えて、もう1本は昔付き合っていたガールフレンドが、何かの祝いでもらったが、マンション生活では植える場所がないからと、うちに持ってきて自分で植えたものだ。3色の紫陽花は互いの距離が50メートルで三角形の位置関係にある。自分でも、もっと近くの目立つところになぜ植えなかったのかと不思議に思うほどの遠方で、畑仕事に熱中する日々、咲き始めたことにも気が付かない。しかし今日、小さな紫陽花寺を自称してもよいくらいに豪華に咲き誇っているのに気が付いた。せめて何本か、身近に置いて愛でてやりたい・・・。それで、銅製の、もとは囲炉裏の炭を入れる器に生けてみたのだ。

男もすなり生け花の
思いがけずもゆるやかな色
たしかに醸す仕合せの色
三つの色が囁きかける
今日もいい一日だったネと
男を待つのは熱い風呂、冷たいビール
湿っぽいけど湿っぽくない田舎の暮らし
本日これにて閉店です
暖簾をおろして梅雨の夕暮れ  顕治

 

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