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田舎暮らしの本 11月号

10月1日(金)
850円(税込)

© TAKARAJIMASHA,Inc. All Rights Reserved.

【特別公開】さとねり/話題の新人作家・新川帆立の書き下ろし掌編小説

 

 訃報を聞いて、飛行機にとびのった。宮崎空港に着くと、外は大雨だった。道にたまった水をざぶんざぶんとかき分けながら、一時間車を走らせた。

 日南市風田地区の大きな平屋に、祖父は眠っていた。

「じいさんが起きると、うるさいからねえ」

 認知症が進んだ祖母は、藤椅子に腰かけたまま穏やかに言った。

 祖母の右腕には輪ゴムが巻かれている。祖父と祖母は農家をしていた。米、花、タバコ、作れるものは何でも作る。貧しかったのだ。作った花を切って束ねるとき輪ゴムを使う。だから祖母はいつも腕に輪ゴムを巻いていた。息子夫婦に仕事を任せて悠々自適の身となった後も、ずっとだ。「おらも働かんといかんなあ」と言い続けている。

 式場の手配を終えて、父が帰ってきた。

「じいさんは、どうして?」

「分からん。歳やもん。寿命やろう。早紀は、仕事は大丈夫やったと?」

「うん、パソコンを持ってきたから、なんとかなると思う」

 東京で弁護士をして、もう十五年になる。自分なりに仕事の進め方は心得ていた。法事が一段落した深夜に、メールの返信だけするつもりだ。

 親戚は続々とやって来た。外では大雨洪水警報が鳴っている。皆一様に、足元はぐっちょり濡れていた。それぞれに玄関で靴下を脱ぎ、十人ほどが居間に集まった。

 仮通夜といってもやることは何もない。遺体を前に思い出話をするくらいだ。

「さとねりは、もう、しとらんのよね」

 誰かがそう漏らしたのは、夜九時を回ったころだった。「さとねり」というのは「砂糖練り」、黒砂糖作りのことだ。サトウキビを育てて収穫し、搾り器に入れる。搾り汁を窯で煮詰め、丁寧に灰汁を取りながら六時間ほど煮詰める。これを練り上げて冷ますと黒砂糖になる。江戸時代後期から続く師走の風物詩だ。

「しとらんよ。昔は三十軒以上さとねり小屋があったけんど、いまはもう一軒だけよ」

 誰かが答えた。

 祖父はさとねりの名手だった。年末に帰省すると、「こっちおいで。一番美味しいところを、とっとったっちゃが」と言って、黒砂糖を分けてくれた。

「踊りは?」

「うちはしとらん。保存会は続いてるがね」

 祖父は盆踊りの唄い手だった。倉庫を探せば、祖父の唄の入ったカセットテープがどこかにあるはずだ。祖母は若者に踊りを教えていた。祖父が唄い、祖母が踊っている祭りの写真が奥の間には飾られている。

 思い返せば、忙しい生活だった。米を作り、収穫し、盆踊りをし、花を育て、サトウキビを育て、黒砂糖を作る。猟犬を従えて猪狩りもしていた。年末年始の行事もある。近くの家で人手が足りなければ寝ずに手伝う。祖父と祖母は、朝早くから夜遅くまで、一年中働いていた。祖父の口癖は「頑張らんといかんよ」だった。ことあるごとに、子供や孫にそう言った。

 十時を過ぎて散会になった。片づけをして、風呂からあがるともう十一時過ぎだ。外では雨の音が強まっている。眠い目をこすりながら、パソコンを開く。前日は仕事が忙しく、三時間も寝ていなかった。

 ほんの数時間目を離しただけなのに、メールは三十件以上たまっていた。若手弁護士からの「どうすればいいですか?」「どうしましょうか?」というメールばかりだ。少しは自分で考えればいいのに、と内心毒づきながら返信していく。寝不足のせいで心が狭くなっている。欠伸を噛み殺し、軽く目をつぶる。疲れで目の裏がじんわり熱い。

 仕事は好きだ。だが年々、体力が持たなくなってきた。いつまで最前線にいられるか分からない。いつのまにか、涙が漏れていた。悲しくて泣いたのではない。目の疲れだ。

 

 

「亜紀ちゃん、どうしたの」

 声がかかって、目を開けた。祖母が腰を曲げて立っていた。「亜紀」というのは姉の名前だ。祖母は姉と私の区別がつかない。ランダムに呼びかけてくるから、半々の確率で当たったり外れたりする。

「ばあちゃん、起きてきたの?」

「じいさんがうるさいから、眠れないのよ……。ちょっと待ってね」

 テーブルに手を伝いながら、祖母はゆっくり歩いた。冷蔵庫を開けて、タッパーを取り出した。蓋の端がひび割れている年代物のタッパーだ。

「さとねりしてる家から、こそっと貰っておいたのよ。食べんさい。一番美味しいところ、とっとったっちゃが」

 タッパーを開くと、たしかに黒砂糖が入っていた。

「じいさんがうるさいって?」

「もう、夜中に起き出して、うるさいと。早紀に黒砂糖を食べさせろ、って。自分で渡せばいいのになあ」

 祖母はスプーンを手渡してきた。その腕にはやはり、輪ゴムが巻かれていた。

「ばあちゃんも食べる?」

「ばあちゃんも後で食べるから、亜紀ちゃんがまず食べなさい」

 スプーンで黒砂糖を削って口に含む。甘みが一気に広がって、あごが痛いほどだ。コクのある香りが鼻を抜けた。

 いつのまにか、涙が頬を伝っていた。

「頑張らんといかんね」

 私が言うと、祖母はにっこり笑った。

「早紀ちゃんが働いてるで、おらも働かんといかんなあ」

 

 

 

 

新川帆立 しんかわ ほたて

1991年生まれ。アメリカ合衆国テキサス州ダラス出身、宮崎県宮崎市育ち。東京大学法学部卒業後、弁護士。第19回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、2021年に『元彼の遺言状』(宝島社)でデビュー。

 

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https://tkj.jp/book/?cd=TD021243&path=&s1=

 

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